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Channel: Jazzと読書の日々
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守護獣を持て

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中村正三郎の『電脳騒乱節』で「守護獣を持て」の回があった。 守護獣は幸せを呼ぶ。 確か恐竜戦隊ジュウレンジャーをやってたから90年代か。

子どもの文化人類学

原ひろ子先生が70年代に連載していたエッセイの復刻版。 カナダ北部の狩猟採集民と生活を共にしたり、インドネシアイスラム教徒の調査をしたりしています。 そのフィールドワークの成果から特に「子ども」に焦点を当てたエピソードが満載です。

へヤー・インディアンの話が好きかな。 へヤー族の子どもは夢の中に動物が現れると、その動物と契約を交わすことで「守護霊」になってもらう。 何か重要な決定をするときは守護霊と相談して決めるそうです。 雪道を歩いているとき、どちらに進めばいいかわからなくなると守護霊の言葉を待つ。 突然止まって動かなくなる。 ほかの人たちは気にせずに、その人が動き出すまで待ってくれる。

ソクラテスにも似たエピソードがありましたよね。 歩いている途中の姿勢のまま固まってしまう。 内なるダイモンの声が聞こえると、日常生活よりも優先するからです。 ダイモンとの話し合いが終わるとソクラテスは何事もなかったように動作を再開する。 このダイモンとは守護霊のことなのでしょう。

へヤーの人たちはそれぞれ異なる動物を守護霊にするのでトーテムではありません。 個人が守護霊を持つので、親子であっても対等な存在と見なされます。 親は子どもに命令しないし「しつけ」もしない。 子どもは自由に遊んだり大人の手伝いをしたりします。

技は見て盗め

そうした文化なので「教える・教えられる」という概念もありません。 道具の使い方などは大人を観察して子どもが自分で習得する。 狩りをしたり料理をしたりする大人を見て、見よう見まねで学習する。 5歳くらいになると斧を使って薪を割ったりします。 一人で狩りができるようになると家族から独立していく。

そもそも養子や里子が日常的に行われる社会なので親子関係は流動的です。 生活は「はたらく・あそぶ・やすむ」の3つで構成されていて、子育ては「あそぶ」に分類されています。 子どもがいることは楽しいことだ、という前提がある。

なので、子どもが独立すると老夫婦は新しく養子をもらいます。 これは狩猟採集だと一度に育てられる子どもの数に限界があるので、部族に生まれた子どもを分散させ、共同で育てることで餓死するリスクを減らす工夫になっています。

守護霊は「死ぬ時期」も教えてくれます。 へヤーの人たちは死期を悟ると仲間とお別れパーティを開き、その時が来ると本当に死んでしまうそうです。 楽しく死ぬことができると悪霊にならず、再び人間として生まれ変わると信じている。

ここあたり誤解していました。 狩猟採集民の人たちはまだ自我が生まれていず、集団に融合して暮らしているのかと思ってましたが、違いましたね。 守護霊がいることで「個人」を重視して社会を形成しています。 家族に縛られず、内にある守護霊と相談しながら「自分」を生きている。 しかも死ぬことも恐れはしない。

極寒の地で飢えや病いと戦いながらではあるけれど、生き生きと楽しそうです。

まとめ

解説で奥野先生が「一見ほのぼのした話が並んでいるけれど、いずれも現代日本の家族や教育を問いなおすラディカルな批評である」と書いてますが、違います。 現代日本には「守護獣」がいないのです。 そこが文化として致命的。

守護獣は「個人」として生きるとき、その人を「孤独」にしない装置になっています。 一人でいても、心の中に相談相手がいる。

その「守護獣」に当たるものを今の日本でどう育てていくか。 個人の核となるもの。 それを抜きにしているから家族も教育も空回りします。


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