書くことは迷宮に潜ることである。
マッピング
文章を書く前にマッピングをすると考えましたが、違うかもしれない。
この間「随筆段階→編集段階」という構造が「書くこと」にはあると発見して、じゃあ、自分が書くときはどうしているだろう、と。 今もそうですが、思いつくことをLogseqにだらだらと箇条書きしています。 いわゆる「フリーライティング」と呼ばれるやつ。 物を書くときはまず「とりあえず書いてみる」の段階がある。 これを「随筆段階」と名付けてみました。 自由連想。 筆が文章を綴ってくれるのを信用してみる。
迷宮探索に喩えてみると、まず迷宮を歩いてみる。 いつでも出口に戻れるように浅い階層から始めますよね。 マッピングするとしたら、この探索が終わってからです。 迷宮に足を踏み入れてないのにマップを描くことはできません。 考えてみると当たり前。 すると「マッピングが何より先」は嘘をついたことになります。 ごめんなさい。
なので、随筆段階のあとにマッピングは来ます。 とりあえず「書き下し」を作ってから、そこにあるキーワードの地図を作る。 作図は随筆段階の後ということになる。
執筆プロセス
ここまでの考察をマッピングしてみる。
こんな感じかな。
随筆段階とマッピングを交互に繰り返しながら下書きを作っていく。 これは「材料集め」なわけです。 集まった材料を今度は「読者目線」で読み直す。 そうなったとき執筆は「編集段階」に入ります。
編集段階でもマッピングは継続するけど、これは一般に「推敲」と呼ばれるものでしょう。 推敲とマッピングの異同は考察の余地あり。 迷宮のラフスケッチを清書する感じだろうか。 この間のカントの話では「形相」に関わるところですね。 ただの「私の体験」を「誰にでも伝わる普遍」に練り上げる。 そうした作業が「推敲」です。
推敲が終わったところで一応完成とします。 ブログにアップしたりする。 アップし終わってからも書き直すことはあるけど、大きくは書き直さない。 大きな変更があるなら、一度消して新しいバージョンをアップするだろうから。 それは別のものと認識します。
さて、このマッピングを見ると、いくらでも拡張できますね。 そもそも随筆段階の前段階はないのだろうか。 読者目線とはいえ、結局は「自分」なのだから他者性が弱いんじゃないか。 迷宮で新しい階層に踏み込むとマッピングを作る直すことになるけど、執筆でも似た現象はあるのかないのか。 そんなことを考えます。
まとめ
おやおや、これはどうなるんだ?