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悪いことはなぜ楽しいのか

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子どもにとって「大人のルール」が「善」です。 「大人は正しい」という前提で生きていて、大人から叱られると「自分は悪い」と考える。

でも、思春期に入ったとき「もしかして大人も間違っているんじゃないか」と気づくときが来ます。 親も先生もただの人間。 大人も「間違ったこと」をする。

じゃあ「良い」とはなんだろう。

大人たちのルールは「道徳」と呼ばれます。 それを一度疑問に付し、物事の善し悪しを作り直すのが「倫理」です。 この2つは別物なのに一般には混同されている。

悪いことはなぜ楽しいのか

プリマー新書は中高生を読者層にしています。 あの「スマートな悪」の戸谷先生が彼らに「倫理」の入口を示しています。 苦労してますね。

テーマとしては自己中、イジメ、復讐、リスカ、KY、反逆。 話の展開がうまくできていて、自己中について考えたあと「でも自己中では説明できない悪もある。例えばイジメがそうだね」と次のテーマに移っていきます。

哲学者が事例を列挙しながら考える方法、つまり帰納法を実践しています。 まず仮説を立て、その仮説では説明できないものを探し、さらに新しい仮説を立てる。 これで理論の練り上げをしていく。

この哲学ループに子どもたちを巻き込むのが狙いだな。

倫理の芽生え

はじめの方は「大人のルール」です。 ルールに従わない利己的な人間がいるとルール自体が成立しなくなる。 だから自己中も「悪」とされるし意地悪も「悪」とされる。 だって、自分がそれをされたらイヤじゃない? サッカーも、ルールがなかったらサッカーにならないし。 そういうのが「大人のルール」、つまり「道徳」の成り立ちです。

でもその話が「KY」の同調圧力を検討するあたりから変わってくる。 その場の秩序を壊さないためにルールに従う。 それがイジメを生み出す温床になっています。 戦争に突入するときもそうじゃないかなあ。 「そういう空気だから」とみんなが同じ方向に流される。 でも、ルールに従うことがいつも正しいのだろうか。 おかしいんじゃないか。

この疑問が「倫理」の種になります。 正解はありません。 「正解」は個々人が考えることです。 そしてほかの人たちと話し合う。 それが哲学です。

「ルール」を乗り越え、自分の「倫理」を作り上げる。 それが、人が「個人」となるために必要な段階です。 一度「空気が読めない」と周りから非難される段階を通らないと「個人」にはなれません。 ただの「子ども」として一生を生きることになります。

悪の楽しさ

でも「子どもとして一生を終える」のが「悪いこと」でしょうか。 ルールから外れず、敷かれたレールに乗ったまま、気がついたら「あの世」でいいじゃないですか。

「個人」として生きるのはしんどい。 自由とは、常に自分の意志で行動を選択することです。 とても頭を使うし面倒くさい。 失敗しても他人のせいにできません。 これにはどえらい体力が要る。 誰もができることとは思えない。

「子どものまま」なら責任逃れができます。 裏金問題が発覚しても「自分は知らなかった」と言えます。 「知ろうとする努力を怠った」と落ち込むこともない。 問題を会計責任者のせいにできる。 子どものままでいれば人生はイージーモードです。

そもそも公務員なら副業をしたら罰せられます。 なのに国会議員はパーティで収益を上げていい。 そのダブルスタンダード自体が「悪」でしょう。 そこは手付かずのまま、いくらでも「法改正」で悪あがきできる。 そんな商売、なかなかありません。

その「悪」は楽しい。 たぶん、金額ではなく「自分は特別」という楽しさだと思う。 お金じゃなくて「権力」の楽しさでしょうか。 どうなんでしょう? 「権力」を持ったことないからわからないけど。

隠れんぼ

実は「はじめに」に出てきた「立ち入り禁止の小屋に入るスリル」の楽しさが、本論に出てきません。 これは「道徳」を超えて「倫理」に足を踏み入れる、思春期の興奮を捉えていると思う。 けれど、戸谷先生は「悪」として扱えていない。 倫理は悪の姿をしている。 一番重要なところですが、説明が難しいので避けてしまったか。

そこには裏金問題と同じ「自分は特別」のバリエーションがあります。 これは「権力」ではないですね。 別に力を行使しているわけじゃないから。

「法の外」に出てしまった。 「立ち入り禁止」と書いてなければ、別にスリルはありません。 規範との関連で引き起こされる。 「文字」を通して起こる享楽の世界です。

たぶん政治家の裏金問題もこのレベルのものだと思うんですよ。 自分が法外にいる。 そのスリル。 見つかったら叱られるかなあ、と感じているので隠そうとする。 今度は50万振り込んでもらって、5万ずつの別名義にしたら、見つからなくて済むかな。

「権力」が目的なら、自ら公言して「私は偉いんだ」と開き直るでしょう。 隠そうとして隠しきれず、見つかってから屁理屈を捏ねるのは「悪いこと」と知っているからです。 でもやっちゃうんでしょうね。 依存症ですかね。

そこに働いているのは「隠れんぼ」と同じ「見つかるかな?」のスリルです。 「いないいないばあ」と同じ「存在と無」の享楽。 これは底抜けに楽しいらしい。

その楽しさを深めると「倫理」になるんだけどなあ。 惜しいレベルにいる。 見つかったときにちゃんと「悪」を認めることができたなら「大人」になるんですけど。 まあ、なりたくないんだろうから仕方ないや。

まとめ

中高生向けの「本当の悪はもっと楽しいよ。ちゃちなイジメなんかやめて、政治家になろう」という本だったら良かったのに。 そんなことを「大人」から言われたら、子どもたちも反発して「いい政治家」を目指してくれるかもしれない。


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