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Obsidian:WebClipは「記憶術」に近い

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サムネとはシニフィエのことである。

WebClip

今週はWebClipperのテンプレートを深めてみました。 これは可能性に満ちている。

それで閲覧用のWebClipもアップデートします。

スクリプト

Obsidian Web Clipperのデータを表示するdataviewスクリプトです。

Import Obsidian: WebClip

```dataviewjsconst FOLDER = "Clippings"const CSS = "font-size:medium;height:6em;overflow:hidden;"const p = dv.el("input","")p.placeholder = "..."p.style = "width:50%;font-size:large;border-radius:3px;"const btn = dv.el("button","▶︎")btn.style = "background:none;font-size:small;margin:5px;width:20px;"const b = dv.el("div", "")b.style = "max-height:14000px;"disp()p.onkeyup = () => disp()btn.onclick = () => {  q = encodeURIComponent(p.value)  if(q){    open(`obsidian://search?query=${q}%20path:(${FOLDER})`)}else{open("x-safari-https://google.com")}}functiondisp(){const  d = dv.pages(`"${FOLDER}"`).filter(x => x.title).filter(x =>(x.title + x.subtitle + x.author + x.description).includes(p.value)).sort(x => x.file.mtime,"desc").limit(200).map(x =>`<tr><td style="width:20%;text-align:center;"><div style="${CSS}"><a class=external-link href='${(x.source || x.link)}'><img alt="🌏️" src="${x.image || x.coverUrl ||''}"></a></div></td><td><div style="${CSS}"><a class=internal-link href="${x.file.name}">${x.title}${x.subtitle ||""}</a><br>${x.description ||"..."}</div></td></tr>`)
  b.innerHTML =`<table>${d.join("\n")}</table>`}```

変数FOLDERを対象のフォルダにしてください。

使い方

サイドパネルに入れるのがオススメ。

サムネをタップすればネットに接続、タイトルだとノートにアクセスします。

検索欄にキーワードを入れると記事の絞り込みをします。

右横の「▶︎」をタップするとキーワードで全文検索します。 検索欄が空欄だとSafariの起動。

BookSearch対応

BookSearchプラグインが作るデータにも対応しました。

変数FOLDERをBookSearchのフォルダに変更してください。

記憶術

「心」はソフトウェアに似ています。

確かにあるのだけど「ここにある」とは示せない。 指示対象にならない。 頭を指さしてみても、そこにあるのは「脳」であって「心」ではありません。 ハードウェアを分解してもソフトウェアは取り出せない。 脳科学では解明できないでしょう。

今回WebClipを作っていて、うっかりサムネが表示されない状態が続きました。 CSSを書き間違えたのだと思う。

すると、タイトルだけ見ても内容が思い浮かばない事態に遭遇しました。 記事の中身が思い出せない。 しかも言語情報は「読む時間」を要するため閲覧性が低い。 タイトルからなかなか連想が湧いてこない。 そんな奇妙な体験をしました。

とすると、記憶には「サムネ」が必要らしい。 サムネに「読んだときの体験」が封印されている。 サムネを解凍することで「あんなことがあった。こんなことがあった」と記憶が蘇ってくる。

その「サムネ」は「映像」とは限りません。 生まれつき全盲の方にも「記憶」はあります。 もしその「記憶」が聴覚的だとしたら、想起に時間がかかります。 音楽再生の「頭出し」というか「イントロクイズ」のような想起になって、検索が大変でしょう。 もう少し瞬間的で「ああ、あのときの」となる「サムネ」があるはずです。

反対に考えると、「心」を扱う場合は「サムネ」を作った方がいい。 ハードウェアではない「心」は「ほら、これ」と指差して示すことができない。 指示対象になりません。 そのことで苦労する。

それで、絵で表したり箱庭に並べたりする「心理療法」があるのでしょう。 ソフトウェアをサムネやアイコンによって「これ」と示す。 そのことで「これ」が他者と共有できる「オブジェクト」に変換されます。 メタファーやアナロジーも同じですね。 指差しで示せないもの。 それを扱うために、別のものに仮託する。 そういう工夫なわけです。

ただ、サムネは万能ではない。 Wikipediaで「ソシュール」をクリップすると「ソシュールの横顔」がサムネになります。 これに困りました。

ほら、「髭のオジサンの横顔」って「ニーチェ」のイメージじゃないですか。 おかげでソシュールのサムネなのに「ニーチェ」が割り込んでくる。 「深淵を覗く者は、あ?」とワンクッション入ってしまいます。

ソシュールは何より「シニフィアンシニフィエの図」なんだよなあ。

まとめ

この「サムネ」をソシュールは「シニフィエ」と呼んだのでしょう。

シニフィエを「映像情報」と捉えると的外れになります。 「inu」という音が「イヌの映像」を呼び出すのではない。 「連想のトリガー」になるサムネが控えている。


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