中世の覚醒
長い本だった。 ほかの本と並行しながら目を通して3か月。 やっと最後まで読むことができました。 あまり知らない領域だったので、面白かった。
とはいえ、これは分割してブログに感想を書けばよかったなあ。 途中で登場人物が入れ替わるんですよね。 12世紀から15世紀にかけての哲学史だから。 メイン・キャラが時代ごとに変わる。 しかも著者のルーベンスタインは「国際紛争学」の先生で、哲学者ではありません。 だからか、一人ひとりを「生きている人間」として描いている。
家庭教師先の女子高生と恋に落ちてしまうアベラールとか、いいなあ。 勉強そっちのけでイチャイチャしている。 しかも恋人への忠誠を誓い、世界を敵に回し奮闘している。 そこから情の通った哲学が生まれてきます。 教科書だと「スコラ哲学」でひとまとめにされる人たちが泣いたり笑ったりしている。
その代わり、世界史が頭に入っていないと追いかけるのが難しい。 権力に固執するカトリック教皇とか出てくるから、コロコロと情勢が移り変わり、君主たちも身勝手な戦争を展開していて、おちおち哲学できる環境にありません。 いつも命懸け。
とりあえず年表を作ろう
読み終わったらKindleハイライトをCopilotで整理しましょう。
今回役に立ったプロンプトは「年表にまとめてください」でした。 登場人物や出来事の年表を作る。 歴史ものには欠かせない作業です。
- 紀元前4世紀頃:アリストテレスの生涯(384-322 BC)。彼の哲学が後の議論の基礎となる。
- 6世紀:ボエティウスによるアリストテレスの論理学書のラテン語翻訳。
- 8世紀-12世紀:イスラム世界とユダヤ教世界におけるアリストテレス哲学の翻訳、研究、発展。
- 12世紀:スペインにおけるアリストテレス著作の再発見。この出来事が、西ヨーロッパにおけるアリストテレス哲学の受容と、キリスト教神学との融合・対立の始まりとなる。
- 12世紀後半-13世紀:トマス・アクィナス、アルベルトゥス・マグヌスらによるアリストテレス哲学のキリスト教神学への統合の試み。スコラ学の隆盛。
- 1210年、1215年:パリ大学でアリストテレス著作の一部が禁書となる。
- 1215/35頃-1286頃:ギヨーム・ド・ムールベケによるアリストテレス全著作のラテン語翻訳完了。
- 13世紀:アリストテレス哲学の大学への浸透。大学におけるアリストテレス主義とアウグスティヌス主義の論争。
- 13世紀後半-14世紀:ドゥンス・スコトゥス、ウィリアム・オッカムらによるアリストテレス哲学の解釈と、トマス・アクィナスらの思想との対立。
- 1300頃-1358以後:ジャン・ビュリダンによるインペトゥス理論の提唱。
- 1325頃-1382:ニコル・オレームによる天文学・数学への貢献。
- 1323年:トマス・アクィナスの列聖。
- 1328年:対立教皇ニコラウス五世の選出。
- 1260頃-1327頃:マイスター・エックハルトの生涯。彼の神秘主義思想は、アリストテレス主義とは異なる方向性を示す。
- 14世紀:パリ大学における自然哲学の復活。
- 15世紀以降:アリストテレス哲学の衰退と、近代科学の勃興。
端的に言うと「アリストテレスの再発見」。
380年にキリスト教がローマ帝国の国教となり、それから徐々にギリシア哲学が衰退していきます。 時には焚書坑儒が行われ、多数の哲学者が抹殺された。 彼らは東方に難を逃れ、イスラム圏で受け入れられます。 アラブ人の間でアリストテレスが受容され、研究が発展していく。
11世紀に入り、カトリック教会がスペイン奪還を目指し十字軍が派遣される。 そこでヨーロッパ人はイスラム圏で高度な文明が営まれていることに気づきます。 軍事力や医学だけでなく、あらゆる面においてヨーロッパを凌駕していた。 これは何だ?と。 その文明の根幹に「アリストテレス」を発見し、その哲学を翻訳し輸入し始めました。
和平に向けて
ルーベンスタインの関心は、その時代の「異文化交流」にあります。 ヨーロッパにおいてキリスト教・ユダヤ教・イスラム教、3つの一神教が共存できた時代だからです。
現代においては分断してますからね。 偏見と差別が横行している。 でも12世紀には、それぞれが手を取り合って「アリストテレス」の名のもとに集まっていた。 哲学が共通言語となり、異なる文化の橋渡しになった。 それが国際紛争の解決を模索してきたルーベンスタインを魅了します。 ここに理想的なモデルがある。
『中世の覚醒』はヨーロッパ内の混乱がメインになっています。 アリストテレスを受け入れると、実はキリスト教が破綻するんじゃないか。 そんな懸念が湧いてきては弾圧が繰り返され、それに反対する勢力も力をつけ教会の中枢に食い込んでくる。 理性と信仰が、望ましいバランスを探し共存する道を求め右往左往する。
そのプロセスの中で「科学」が生まれてきます。 『チ。』とかだと中世は暗黒の時代で、教会は異端者を見つけては火あぶりにしているイメージですが、そんなことはありません。 そもそもアリストテレスは「地球は丸い」という説を唱えていて、コロンブスもそれを読んだ上で「西回りでインドに行こう」と目論みます。 アリストテレスは「観察→仮説→検証」の哲学なので、手続きが科学的なのです。 もうすでに「慣性の法則」や「地動説」の萌芽は生まれ、教会内で検討されていました。
「科学」が教会と決別するのは、どうも専制君主たちが世俗の権力を掌握するために「科学」のパトロンとなったのが理由みたいです。 ホッブズのように、宗教に依拠せず「権力」を正当化する理論が生み出されるようになった。 これが今の民主主義の基盤にあるので一概に悪いとは言えないけれど、「万人の万人に対する闘争」というネガティブな人間観はどうなんだろう。 人間不信で「社会」が作られてもなぁ。
「産湯とともに赤子を流す」という格言があるけど、教会を否定するためにアリストテレスまで放逐してしまった。 それが15世紀です。
アリストテレスは「対話」を重視していました。 多角的に見ることで真理に近づくことができる。 だから異文化間の共通言語となっていた。 それは過去の話ではなく、むしろ国際紛争の絶えない現代においてこそ、考えなくては行けないことです。
まとめ
ルーベンスタインほど「信仰」への信頼が湧いてこないから、どうも最終章は納得いきませんでした。 紛争解決には「対話」だと思うけど、それは宗教的な言説ではないと思う。 もっと違うところでの「共通言語」が求められる。
それにしてもなぜ「科学」は共通言語となれなかったのだろう。